Larung Gar Gompa

中国は東チベット。標高4,300mに位置する天空の大僧院「ラルンガルゴンパ」にいってきた。

数年前までは外国人が立ち入ることが許されていなかった。それが解禁からは中国内外から旅行客が増え、インターネッツの旅サイトなどでもよく見かける。それにまんまとつられた『深夜特急』世代の中年サラリーマンが私。


2015年9月。中国に行くのは13年ぶり。成都はその時も立ち寄った街だ。麻婆豆腐発祥の「陳麻婆豆腐」本店の麻婆豆腐が辛すぎて味がしなかったことと、バス停隣の屋台が美味すぎて毎日通ったことくらいしか覚えてない。バックパッカーにとっては食うことしかやることのない街だった。

成田から上海経由で成都へ降り立ち、バスでネオンのきらびやかな街の中心地へと向かった。

成都の宿は、「交通飯店」に隣接する熊猫夫人国际青年旅舍(Chengdu Mrs Panda Hostel)。シルバーウィーク真っ最中で日本からの予約で満室とのこと。「ドミでいいよ」と言うと、交通飯店のシングルルームに案内された。

成都を拠点とする旅行先は、世界遺産の九寨溝が有名だが、ラルンガルゴンパ目的にくる旅行者が急増しているそうだ。そのせいか、翌日のラルンガルゴンパ行きバスを予約しようとすると、2日先まで満席だという。

さて、どうしたものか……


結局、成都とラルンガルゴンパのちょうど中間にある街、マルカム(马尔康)までバスで行き一泊。翌日目的の街セルタ(色達)へ行くことにした。直行だと15時間のバス旅だと知っていたので我がシリは命拾いしたと胸をなでおろ……いや尻をなでおろした。


茶店子バスターミナル

翌日の昼ごろ宿を出て、地下鉄で茶店子バスターミナルへ。マルカム行きのチケット(113元)を購入し、13時に小雨が落ちる成都を出発した。

バスがマルカムに到着したのは18時45分。どうやらバス停は街の外れにあるようで辺りは薄暗闇の中で閑散としている。数人いたホテルの客引きの中で数字だけは英語を話すおねえさんの宿に向かうことにした。

宿泊料金は一泊60元(1200円)。バス停からタクシーで3分ほどで街の中心地へ向かい、ホテルの看板もない古びれた高層マンションに入っていく。とっさに「ヤバイか?」と自己防衛意識が働いたが、マンションの一室に5部屋くらい区分けして宿泊施設にしているちゃんとした闇ホテルである。中国の田舎では珍しくないが、自分が知ってる中国に出会えたことに些細な喜びがある。

マルカムの街

数日の滞在だと、中国は田舎町でも食には事欠かない。そこそこ客のいる食堂を選び、炒飯と水餃子を注文する。ビールは青島。炒飯はトンデモナク旨いし、ビールもトンデモナク旨い。孤独のグルメに紹介したいくらい旨い。ただひとつ贅沢を言うと、食後にコーヒーが飲みたい。

マルカムの街


夜のマルカムの街はもっぱら食うこと以外にやることがない。店員もスマホゲームに興じている。明日の朝も5時起きなので早めに就寝。


翌朝、チケットを買うため開店営業前のバス停へ。真っ暗闇の中、すでに10人程度の同胞たちが肩をこわばらせていた。見たところ外国人は自分一人だったが、2回ほど中国語で話しかけられたので完全に同化していたと見える。

無事チケットも購入でき、満席のバスはいざラルンガルゴンパへ出発。

中国山間部の食堂


プレハブ食堂を経て、順調に思えたバス旅だが、昼休憩後に突如としてエンジンが逝った……13時30分、まだ希望が漂う時間だった。

しかし、どうやら完全にぶっ壊れてしまったらしい。言葉がわからない自分には事の詳細は分からないが運転手が完全にさじを投げたことは理解できた。

待ちくたびれた乗客は次々とヒッチハイクをして目的地へと旅たっていった。そして俺はというと、バス会社が手配したバスで居残り組の乗客とともに無事目的地へ向かうことができた。時計をみると18時ちょうど。

日付が変わる頃に目的の街、セルタ(色達)に到着。そして宿探し。セルタは山奥といっていい場所だが、さすがは高度成長した中国。街頭が点在し、その下で熱心なタクシードライバーの営業が夜な夜なされていて、途方に暮れることなく宿探しができた。

1時間ほど街を歩き、無事に寝床を手に入れてそのまま就寝。


次回に続く